コラム.05 ▶︎ オイリュトミーを始めるきっかけ ~昭和の戦隊ヒーローと元祖歌って踊るアイドルへの挑戦~
〈オイリュトミーコラム〉 オイリュトミーからつながる美しい世界
コラム.05 ▶︎ オイリュトミーを始めるきっかけ ~昭和の戦隊ヒーローと元祖歌って踊るアイドルへの挑戦~
うちの家族は私が幼稚園に入る前、大工の祖父に新しい家を建ててもらい父の故郷に越してきた。
隣の家には同級生の修二君が住んでいた。私たちはすぐに仲良くなり、兄弟や、近所の子らと「ゴレンジャー」をするようになった。黄レンジャーが好きだった修二君は、いろんな話をしてくれて、 「仮面ライダーの中じゃったらアマゾンが一番かっこええんで。」と言って、変身ポーズを教えてくれた。アマゾン以外にもいろいろと変身ポーズをやってくれたが、真似しようにもよく分からず、何度か教えてもらったが何度やっても習得もできず、最後はあきらめて、修二君の変身ポーズを眺めながら、ぼーっと立っていた。
小学1年生の時、『8時だよ!全員集合』で「ペッパー警部」を歌いながら踊っていた ピンクレディーは、その後、数々のヒット曲を飛ばした。「渚のシンドバット」は、友達に、何とか振りを教えてもらって一緒に盆踊りの舞台で披露できたが、「UFO」とか、「サウスポー」とか、面白そうな振付がたくさんあったが、結局、ひとつもまねできず、終わってしまった。
大学生になり、合唱部の一幕で、『コーラスライン』のミュージカルを再現することになった。企画された先輩が、団員の中からダンサーを募集されていたが、身の程知らずに夢を見て応募し、他のダンサーがさっさと振り付けを覚えて踊る中、一人、「まって、右足を出して、それから、左足を引いて、手はどうするの?」というひどいありさまで、やっと習得し、動かない体をくねくねさせて無理したものだったので、客席から失笑を買った。
そんな私が、大学の卒論を通じてシュタイナーに深く出会い、卒業後、カルチャーセンターでオイリュトミーを見つけた。
岡山では小原さんという方が教えておられた。 オイリュトミーは私たちの感覚を広げる、よいものである、という情報から入ったので、続けていくとどうなるのか、興味があった。
しかし、実際にやってみると、音楽はとても不思議なものだったし、ボールを渡したり渡されたり、きわめて面白くなく、老人向きの、ゆっくりした運動、という印象に代わってしまった。ただ、簡単そうなのに、先生や経験者の方々の動くようには、自分はどうしても進めなかったのが、くやしくて、どうにかして動けるようになりたいと思い、続けていた。
私がこの道を行きたいと強く思ったのは、小原さんと、オイリュトミーの仲間と共に、大山に合宿に行った時の事だった。小原さんが、「わたし」という言葉をオイリュトミーでやって見せてくださったのがきっかけだ。周りの空気を動かしながら、変身する仮面ライダーのようにかっこよかったのだった。ずっと続けていけば、私も仮面ライダーの変身ポーズや、ピンクレディーの楽しいダンスも器用にできるようになるのかもしれない。そんな予感がしたのだった。
〈ご寄稿 瀬戸清美様〉
▶︎▶︎プロフィール 瀬戸清美 スプリングバレー・オイリュトミー学校修了(2001)。 芸術コースを経て現地舞台グループに所属。 祝祭、演劇等、多数作品に出演。 ドロテア・ミアー監督のオーケストラ・オイリュトミー公演ツアー2005に出演。 2006年帰国後、 横浜市で小学生、大人を教える。
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